「………御堂君」


葵は驚いた。
御堂一哉が会いに来るのは葵の中では決定事項であったのだが、なかなかに早い行動だなとも思うし、やっと来たとも思った。
この数カ月待ち望んでいた日。
ただ、待ち望んでいたといっても、一生来てほしくない日でもあったのだが。
むぎを開放に向かわす最初の一歩を与える人間がやって来た日。
今日という日を絶対に忘れることはないであろうと葵は思ったが、そんなことを一哉は知るよしもなかった。


「こんにちは」

葵は穏やかに笑んで挨拶をしてきた。
あんなに弱ったむぎを見る前ならきっと自分も笑顔で挨拶をできたであろう。
しかし、むぎの様子を見てきた一哉にとって葵のそのごく普通の挨拶は十分腹立たしいものになっていた。
それに加えむぎとのやり取りも一哉の苛立つ原因のひとつとなっていた。
本当はむぎが自ら語ろうとした『病気になりかけている理由』も聞きたかったし、むぎに触れたかった。
せめて告白ぐらいできればと思うがむぎに負担はかけたくないうえに、自分からもう告白はしないと言ったことも大きかった。
むぎといるのはとても楽しいのに、別れた後は非常に疲れ、苛立つ。
少し八つ当たりのような気もする。
だから、苛立ちを抑えながらも挨拶を返した。
声がかすれたが、一哉は気にしなかった。
やはり、むしろ怒っていることに気づけばいいとそう、思ったのだった。


「…お元気そうでなによりです」


そちらも、と返すと葵は悪びれた様子もなく静かにガラス越しに返す。
葵は鈍い人間ではないと一哉はわかっていたため、どういうつもりなのだろうかといぶかしんでしまった。
それとなく両者、様子を窺うようなかたちになったため空気はピンと張りつめていた。
その空気を破ったのは葵の方であった。


「一哉君、君が忙しい人だと思っていたのは私の勘違いでしょうか。何か話があるのなら体裁など気にせずにお話し下さい。面会の時間もそう長くはありませんし…」


葵は静かに笑んだ。
その笑みはどこか寂しそうだとむぎが思った笑みに似ていたのだが、一哉にはその笑みはただの間のつなぎのための笑みにしか見えなかった。
その笑みさえ一哉には許せないと思う。
こんなに苛立つのは久々だなとふと思うと、なんだか冷静になった。


「…そうですね、なら単刀直入に伺いましょう。鈴原に何を」


「もう、会うのは止そうと言っただけですよ」



葵はほほえみを絶やさず言う。
やはり葵は鈍い人間ではなかった。
あらかじめ一哉が訪ねてきた理由を知っていたのだ。
そして答えを用意していたのだ。
しかし、葵が答えを用意していたなんてうことに気付いたのはもっと後のことでそのときの一哉はかっとなった。
どんなときも冷静沈着と言われる一哉だがこのときは怒りを抑えられなかった。
冷静になったつもりでも、やはり冷静にはなれなかった。


「……あんたは、どういうつもりでそんなこと言った…んだ」


このとき一哉はガラスがあってよかったと思った。
もしガラスがなかったら『御堂グループ御曹司傷害事件』などというニュースが流れていたかもしれないからだ。
しかし、やはりガラスはいらなかったような気もした。
男として傷害事件になろうと何になろうと殴っておきたかった。
これではまるで麻生と同じではないかと一哉は自らのそんな思いを嘲った。
けれど、麻生のようになりたいとこのときばかりは強く思ったのだった。
麻生のような男が男としての自分の理想形なのかもしれないと気づき、直情馬鹿だと笑っていた昔の自分が可笑しくて、また少しだが冷静を取り戻せたような気がした。
だから葵の長い沈黙も待てたんであろう。


長い沈黙の後、葵は感情の読めない顔でまっすぐ一哉の顔を見つめた。


「………御堂君、私は君を待っていたんですよ。君は必ずここに来られるだろうと踏んでいましたから」


「どういうことです」


意味はなんとなくわかった。
多分だが、きっと間違いないだろうと一哉は思う。
しかし、先を促すため訊ねる。


「鈴原さんのことを一番大切に思っている人は誰かという話ですよ。他のラ・プリンスのどなたかでも良かったのですが、ね」


この人の、こういう言い方が気に入らないと思ったと同時に、他のラ・プリンスの想いもばれていたことも、その中でも自分が一番むぎを想っていることが知れているのもやはり、むぎとの会話からわかったのであろうと思うと驚いた。
一哉や他のラ・プリンス達とは葵はあまり関わったことがなかったはずだ。
それにこの様子ではかなり前から伝わっていたはず。
むぎとの最後の夜やこの面会所ではそんな後ろ向きな話はするわけがない。
なら、むぎを盾に取ればいくらでも一哉を脅すことができたであろうに…それなのに葵は結局むぎを利用しはしなかったのだ。
葵は結局いつから隆之を裏切る算段を練っていたのだろうか。
いつからむぎのことを慕っていたのだろうか。


「お願いが、あります。鈴原さんに渡してほしいものと、そして私の勝手ながらのお願いです」






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葵さんの願い…むぎの幸せなんですよね。一哉もそうなんですけどね。


09.03.14