二人はとりとめのない話に花を咲かせ、笑って、冗談を言って、それはまるで同居していた頃のようであった。
それなのにまるで昔のような近い距離ではないように二人は思う。
どちらも決して壁を作ってはいないのに、どこかよそよそしく、空回りしている感が否めなかった。
でも、不思議と嫌な空気ではないと二人は思っていた。
会話が途切れたとき、むぎは一哉を見つめ、一哉はむぎを見つめる。
どこか妙に感じる。
無意味に視線を逸らし、一哉も似たような反応をした。
そしてまた、どちらからともなく話し始める。
そんなことを五、六回繰り返した。


そして、やっと四時となる頃であった。
一哉の瞼が下がり気味なのにむぎは気付いた。
むぎはつとめて会話を途切れさせ、また、そっと席を外した。
毛布を持って帰ってきたとき、寝息をたてて眠った一哉を認めた。
毛布を起こさないように気をつけてかけ、暖 房の風が直接当たらないように設定した。
一哉が、このようにうたた寝ることは珍しく、そこからどれほど疲れていたか容易に推測できた。
寝顔は何時もの一哉より少しだけ幼くあどけなく見えて不思議と可愛いなと思った。
本当は、男の人を夜中に家に入れることはむぎでも抵抗があった。
しかし、一哉なら大丈夫だという自信があった。


…プルルルル、プルルルル。
突然、バイブレーションとともに携帯が鳴った。
むぎは反射的にポッケットから携帯を取り出し見たが携帯は鳴ってはいなかった。
それもそのはずだ。
むぎの携帯の着信音設定は電話音ではなく『となりのトトロ』だったのだから。


一哉はさっと起きてどこからかおもむろに携帯電話を取り出し電話に出た。
そう、一哉の携帯が鳴っていたのだ。
第一声からまるで寝起きとは感じさせないはっきりとした口調でむぎは大変驚いた。
しばらく一哉の声を聞いていたがそこにはやはり寝起きと感じさせる要素はなかった。
しかし、なかなかに話は長い。
何度か相槌を打ち、何か難しい言葉で部下だろう相手に指示を出す。
ぼんやりしていると最後に、


「す ぐ帰る」


と言って電話を切った。


もうすぐ帰るのかと、何となしに思うのだがふと思う。
『アメリカの方』に帰るのか、『日本の会社』に帰るのか。
それに、すぐとはどれくらい先のことなのかわからないとむぎは思った。
一哉はこちらを見て、少しだけ逡巡したのがむぎにはわかった。
そう、このとき、もうすぐどこに帰るのか気づいたのだった。


「一哉君…アメリカに帰るの」


「ああ、まだ…しばらくは日本にいる予定だがな」


それは、仕事のためなのか、それとも自分のためなのかどちらなのだろう。
一哉は今日、何をしにここに訪れたのだろう。
まさか、と否定しながらも胸の中に何か燻るものがあった。
鈍い方だとよく言われるむぎであったが、過去に告白されたことのある男が親切にしてくれる意味に、理由に思い至らないわけがなかった。
今までその可能性を考えなかったのは、一哉が告白の後に言った言葉にあった。
『もう、困らせたりしたくはない。だから、諦める』。
あのときの一哉の言葉は今でも胸にある。
一哉の優しさや、自分に向けられる愛情の深さに胸がじんじんと傷んだ。
それなのに、どこか安心したのもよく憶えていた。


「どうして、一哉君…私、鈍いけど……流石にもう、なんでこんなに一哉君が優しいのか考えたら答えなんて一つしかないよ。一哉君は…」
そう、問いただそうかと思ったが、思いとどまった。
一哉はしらばっくれているのに、こちらから蒸し返すのは一哉の誠意に背く行為だと思い直したからだ。
ストイックなまでの愛情に心が揺れた。
それが、怖かった。


「病院、行くぞ」


「……何も聞かないの」


それはまるで確認のように響いたけれど、確信して言った。
一哉は驚きも怒りもせず穏やかに、そしてせれでいてどこか挑発的に聞いて欲しいのか、と一哉は言う。
かぶりを振ると、なら聞くなと言い、珈琲のおかわりを要求してくる。
はいはいと言いながら台所に行く途中、一哉は蚊の鳴くような声で言った。


「聞かない」


「ありがとう」


振り向いて顔を見ようとしたが、一哉は背を向けていた。


「もう、理由は聞かないから安心しろ」


聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声でむぎはうんと言った。
一哉は相変わらず背を向けていた。
むぎは台所に向かう。
片手に白い珈琲カップを持って。
聞かないのは一哉の優しさ。
ただ、それに甘える自分。
このままではいけないとむぎは思う。
喉の奥が微かに乾いたのを感じながら振り返りはせず、むぎは言葉を発した。


「もう、聞かないで…


わかったという返事が来たが気にせず言葉を続ける。


いいから」


「もう、話すから」


何度も話すなんて出来ないから、言うから少し待って。
珈琲を入れさせて。
そう言って台所に駆け込む。
一握りの勇気を。
そう、思ったのに…


「…鈴原。俺は、聞きたいと言ったが、もう時間も本当はないんだ。すまない」


「…一哉、くん」


「………うん、わかった。病院も大丈夫。ちゃんと行くよ。だから、もう、行って」


手を振り、ドアを閉めるとまた静寂が家中を支配した。






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…一哉いい奴よのう…。
いっぱい女の子が寄ってくる中、ずっと一人を思い続ける。



08.08.17