車のクラクション。
その音がむぎの意識をはっきりさせた。
どれくらいの時間が経ったのだかわからない。
枯れたはずの涙が本当に枯れて落ち着いたとき、むぎは一哉の胸の中にいた。
空は黒く、春の夜風は優しくはなかった。


「………ごめんなさい」


そっと胸から離れ一哉のスーツを見てむぎはぎょっとした。
そこにはとても大きなシミが出来ていたから。
こんなに泣いてしまったのか、という思いと同時にこのように寒い中慰めてくれ、尚且つスーツまで汚してしまったことへの罪悪感が胸いっぱいに広がった。


「いや…それより……もう、大丈夫なのか?」


そう言った息が白く、浮かんで、消える。


「うん」


「………」


一哉は忙しい身のはずだ。
高校生の頃からそうだったのだから今、現在は更に忙しくなっているだろう事は簡単に予想できた。
それなのに、彼はずっと何も言わずに、聞かずに、胸を貸してくれた。
一哉はなんてやさしい人なんだろうとむぎは思った。
その優しさが何を意味するかなんて、むぎは知らなかったから。


「ね…一哉君。入って」


ドアの方を向くとドアは開けっ放しで風にメモ用紙が数枚飛ばされていた。
それを拾いながらむぎは一哉に手招きをした。


「あのな…」


一哉は何か言いたそうな顔でむぎを見る。
むぎも手を止めて一哉を見た。


「簡単に男を家にあげるな」


「簡単にって…一哉君だからだよ」


「一宮でも、羽倉でも、松川さんでも…入れるのか?」


「・・・?うん。みんな信用してるから」


にこにこしながら言うむぎに一哉は怒る気さえ失い促されるまま家に入った。
ドアが開きっぱなしの家は外とあまり温度が変わらなかったが、リビングへ行くと幾分か温かかった。
むぎに促されるままリビングのソファーに座り、珈琲を待ちながら一哉は考えていた。


「『信用』…か」


"信用"。それは一哉にとって厄介なものであると同時にチャンスを与えてくれるものであった。
これを崩さなくてはむぎに言い寄ることはできない、同時に今のむぎの側にいるためにはやはり信用が必要であった。
むぎの信頼を得ている人間はそう多くないはずだ。
同居人三人…
瀬伊、麻生、依織それぞれを思い浮かべる。
みな、同じラインに立っている…いや、むしろこちらの方が離れていた分遅れをとっているやもしれない。


カチャリ。
その音と同時に「はい。どうぞ」と、声。


思案をやめ、顔を上げるとテーブルの上に珈琲がのっており、目の前には愛しい少女。
珈琲は一哉の冷えた体に染み渡るようで、とても熱く、美味かった。







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終わりまでいくまでにどれだけの時間がかかるんだろうと自分ながら不安…


07.02.27