□はじめての日□
毎日毎日が繰り返しで、しかもその繰り返しが幸福でないもので。
はじめて心から楽しいと思えたのは、思い返すとあの人とはじめてあったときだったのかもしれない。
アリエッタが守護役をイオンから降ろされたと聞いたときアニスは驚いた。
イオンはアリエッタを信頼し、とても大切にしているように見えていたからだ。
アリエッタが守護役から外されただけでも驚いたのに、ほとんど面識のない自分が守護役に指名され、しかも付き人となると聞いたときはもう、言葉にならなかった。
嬉しいと同時に、どこか嫌だなと思った。
自分の様なしがない一団員が導師守護役などという大抜擢、本来なら嬉しい以外の感情が湧いてくるはずないのに。
偶然選ばれたのだろうか…いや、きっとモースの命だからに違いないだろう。
これから自分はモースの『被害者』ではなく、イオンにとっての『加害者』となるのだから。
この教団への裏切りは最終的にどうなるのだろう。
今までもある程度のことはしてきたが、出来るだけ自分の罪は考えなかった…考えないようにしていた。
けれど、今回ばかりは考えてしまうのだ。
自分の罪の大きさを。
モースのお呼びがかかる。
もう、すぐにイオンから託宣を受けるそうだ。
わかっているな、と脅されて殊勝に答えると満足そうにいやらしい笑みを浮かべる男。
こんな男が上にいる教団は腐っているなとアニスは思った。
仰々しい扉が目の前にある。
モースがちらりとこちらを見る。
この男は馬鹿だ。
何時、何処で、誰に見られているかもわからないのに脅しを渡り廊下でしたり、目配せなど何処ででもを平気でする。
そのような、迂闊者なら誰かに気づかれればいい。
いや、気付かれてもおかしくないようなことをするのは気づかれても平気だと踏んでいるからかもしれない。
多分脅されているのは自分だけではないだろう。
そして…もしかしたらモース以外の上も腐っているのかもしれないとも気づいた。
「覚悟はできたか」
モースがふんと息をしながら言う。
考え込んでいたその間は、覚悟を決めようとして間に見えたらしい。
それは、まあモースの言うことには珍しく…間違っていなかったかもしれない。
どれだけ、教団が腐っているかは知らないし知りたくもない。
どんな道でも進むしか選択肢はないのだから。
「はい」
そう言うと大きな扉を門兵が開く。
軋んだ音が教会に響く。
イオンは部屋の教壇に立っていた。
ステンドグラスからの光がイオンを照らしていた。
遠目からイオンを見る。
イオンは穏やかな笑みを浮かべそこに佇んでいた。
今までのイオンの印象はどちらかといえば冷たいような印象を受けていたが、どうやら勝手なる思い込みだったようである。
いいひとそうで良かったという思いと同時に、騙しやすそうだと思う自分が嫌だった。
前に見たイオンは隙のない人間に見えたから余計にいろいろ考えてしまう。
歩をいつもより遅くし、それらしく振舞う。
教壇の前に着くと膝をついて挨拶をしてみた。
礼儀作法なんて教えられていないから、もしかしたら失礼なことをしているかもしれないなと思った。
でも、今さら間違っていようといまいと何も変わらないだろう。
自分が導師守護役になるということも、この人のよさそうな少年を騙すということも。
「オラクル騎士団、アニス・タトリン曹長です」
イオンを下から見た。
イオンをこんなに近くで見たのは初めてだったが美形だなと思った。
こうして見ると、少年というより少女だ。
「こちらへ」
イオン教壇にへと促される。
教壇には上ってはいけないと昔モースに言われていたため抵抗はあったが、導師イオンの発言であるし、託宣を受けるのだから今日は特別なんだろうと上った。
考え事をしながら歩いていたため気付かなかったが、赤いマットの脇、教団のすぐ下の両端に教団のお偉いさんが先ほどの自分よりもゆっくりと歩き、右へ左へと集まってきていた。
お偉いさんより自分が上に立っている。
優越感なんてものは感じれず、違和感ばかりがあった。
イオンがそっとこちらを見た。
これも目配せと言うのだろうか。
モースのそれとは全然違った。
「唄師アニス・タトリン。ただいまを以って、あなたを導師守護役に任命します」
こういうときなんと答えれば良いのだろう。
きっと少しでもしくじればモースがまた何か言ってくるに違いない。
何か言わなくては、そう考えるのにやはり発言するのが怖くて何も言えない。
これ以上の間は許されないであろうとされたときイオンが下には聞こえないよう囁く。
「大丈夫、落ち着いて下さい」
その声は何の他意も感じられない優しさを感じた。
そして手を差し出される。
ああ、そうか。
きっと本来なら何かしらこちらが感謝や決意を述べたり礼をしたりするのだろう。
けれど、私は混乱して何も言えないから助け船を出してくれたのだ。
差し出された手を握るとその柔らかさに驚く。
なんにもしたことのない子供の手。
とてもあたたかかった。
守ってやらなくては、いけないとこのとき明確に意識したのかもしれない。
情を移さないようにと思ったのに、会ったその瞬間から惹かれていたのだ。
大きな拍手が、とはいかないがささやかな拍手が送られた。
アニスの気付かない内にアニス以外の導師守護役も集まっていたため、ささやかと言えどもそれなりではあったが。
出ていくタイミングなんてのもよくからないし、手を離すタイミングもアニスには見当もつかなかった。
しっかりしているつもりだったが、まだまだだ。
これからはこういう公の場に出ることとなるのだろう。
だから、せめて『それなり』にはなろうと心に誓った。
すっとアニスの手を握っていたイオンの力が抜けた。
そして左手を赤い絨毯に向かって導くように出す。
どこへ向かえばいいか導く灯台のように。
「では、部屋に戻ります。アニス行きましょう」
「はい」
手はゆっくり離されたが、もうどうすればいいか分からないなんてことはなかった。
自分と同じぐらいの背丈の少年はとても堂々としていて、背中はたくましく見えた。
騙しやすくはないかもしれない。
そんなことを考えながらイオンの背中についていった。
「ここが僕の部屋です」
微笑んでこちらを見て、本当に優しげな声でイオンは言う。
『純粋培養』というやつなのだろうか。
一瞬も疑われずイオンは自分を部屋に通し、お茶を淹れてくれた。
お茶は自分が入れると断ったが、お茶の場所わかないでしょう、と笑ってお茶を淹れてくれた。
導師なのに偉そうぶった様子はみじんもない人だとアニスは思った。
「僕は、アニス…貴方に守ってもらうことになるんですが、それだけでアニスの人生を終わってほしいとは思えないんです。任務をこなすだけで終わった後、何も残らないような、そんな人生にしてほしくない。どうか、自由にいてほしいんです」
「自由…」
そんな言葉知ってはいるのに、言われたことや感じたことは一度もなかった。
それに、イオンは先々のやり取りから謙虚な方だと思ったが、これは謙虚の域を超している。
どこか自分を卑下したような彼の姿は両国から多大な信頼を受けている導師の姿とは思えなかった。
「おかしなことを言っているように聞こえるかもしれないですが、私はどうしても三十人にもなる導師守護役達の人生を無駄にしたくないんです。特に、アニスは僕に振り回されることになるでしょうから」
目を伏せて話すイオンの表情は暗く、心から守護役の未来を案じているのが見て取れた。
こんな顔、させたくない。
させてはいけないという義務感ではなく、アニス自身がイオンの人柄を好いたため口が勝手に動いた。
「イオン様は、それだけの価値ある方です。もし、イオン様に振り回されて終わる人生なら、私は嬉しいです」
こころから思った。
たった何十分かで、イオンが素晴らしい人であるとわかったからだ。
イオンの目は驚いたように見開かれて、しばらくこちらを凝視していた。
落ち着いたのか先程と同じような、けれども先程よりもどこか困ったような、困惑した表情を浮かべアニスの名を呼ぶ導師。
先程の発言が自由であってほしいと言う彼の意にそむく発言であると気づく。
「アニス…」
嬉しいですがと続けようとしたイオンの言葉を遮り言った。
「それにですね、イオン様。私、結構これでも多忙なんですよ。イオン様をお守りするという口実があったほうが時間に融通がききそうだと思いますよ」
今度は、イオンの意にも沿ったようだった。
静かにイオンは微笑んで、ありがとうと言った。
先程までの笑みとは違って、本当にうれしそうに、楽しそうに笑った。
そんなイオンに自分もつられて笑う。
いつもの愛想笑いでない笑みで。
□■□
「それで、急に何故、導師イオンの話を」
ジェイドは真顔で聞いてきた。
赤い眼がこちらを見つめるといつも何かうまく嘘がつけない。
「イオン様のおかげで、今、私はこうしていられるんです。でも、私はどんどんイオン様を忘れている」
アニス、とジェイドは甘さなしにこちらの名を呼んで、手まねき。
警戒しながらも近づいて相手の顔を見る。
ジェイドは椅子に座っているため、いつもとは反対にアニスがジェイドを見下ろす形になった。
何だろうかと見つめていると腕を不意にひっぱられしゃがまされた。
もしかしたら、ジェイドには今の発言は不快だったかもしれないと思いごめんなさいと呟くと馬鹿ですねと笑われた。
何に対して馬鹿だと言われたのかよく分からないためじっと見つめると柔らかい表情で答えられた。
最近、よく見るようになった表情だ。
大きな手がアニスの頭をなでる。
「嬉しいんですよ。イオン様のことを話すということは私に少しは心を許してくれたことだと思って。それに、不謹慎ですが…」
そこでジェイドは言葉を止めた。
変な間が空き、何かと思って顔を見るとにたりと笑う。
不快感を隠さずに表情に出すが、相手は特にこちらの表情に気にした様子もなくにたにたと口の端を緩めている。
「アニスがイオン様を忘れて行っているのは私の影響もあるんだろうと思いまして」
少し、というか、かなり腹が立った。
けれど、もしかしてらそうなのかもしれないと思った。
ジェイドと過ごしている間に、少しずつ思いは思い出に変わっていくのがわかる。
恋か、敬愛か…イオンに抱いた感情が今ではよく分からなくなっている。
何だかんだで強烈に惹かれているのだ。
このいけすかない男に。
想いが過去になり、それをそれと受け入れるとき、自分はどうなるのかアニスには想像もつかないけ
れども、その日はきっと特別になるだろう。
でも、どうかその日までイオンを想わせてほしいとも思う。
言葉にして見ると、少し恥ずかしかったが言いたかったので言ってみた。
ジェイドは笑ってはいと答えてくれた。
365 Themes 1-100/NOVEL
このお題でなかなか文章うまく書けなくて、他のカプでも同じお題で書いちゃった…どうしようかな;
09.10.13